【投資】21年1月~10月の投資の損益をアプリで見える化してみる
見える化は大事。時として残酷な内容を見なくてはいけないが、PDCAのCは大事。
先日、投資のアプリをインストール。
目的は証券会社のサイトでは蓄積されない過去の取引データを独自で集計・再整理してグラフ化するため。
特に昨年末からいろいろと手を出した個別株の確定損益に目を向け、今後に活かすため。
マイナス確定の部門
①Z社(米国):最もダメージ大の銘柄。昨年ブレイクしていた銘柄で勢いを信じて購入。勉強代は2021年最大。教訓:適当に買ってはいけない。
②O社(日本):ギャンブル覚悟で購入し、敗北。教訓:ギャンブル根性で投資してはいけない。
③M社(米国)、V社(日本)、R社(米国)、S社(日本):SNSに流されて購入し、どれもそこそこの損失。教訓:①と同じ。
その他は割愛。
プラス確定の部門
①S社(日本):今後の需要を予見して購入し見事的中。ただし、利確のタイミングはかなり遅れた点は反省。教訓:スケベ心はいけない。
②K社(日本):とある投資家のブログを見てイナゴ戦略で購入。たまたまよかっただけ。教訓:再現性ない。
③M社(米国):潮目が変わる前に利確できた銘柄。教訓:たまたま。
その他は割愛。
とにかく結論「SNSなどで数唱された銘柄を適当に買うのは良くない」。これに尽きる。
尚、マイナス確定の合計>プラス確定の合計の不等式が成立中。日々精進あるのみ。
【書籍】「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」田中陽希
「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」田中陽希
<所感>
筆者は本書の発刊後には日本に二百名山も完頂。そして、さらに三百名山にチャレンジと飽くなき挑戦を続けている。
この手の耐久性スポーツ(?)で重要なのは筋肉系と内臓系の疲労や怪我。
本書でもその点が存分に語られており、耐久性スポーツの末席の人間としては同感できる点は多い
しかし印象的なのは筆者がこのチャンレジを通じて感じた2つ思いだ。
1)道を歩くときすれ違う人に挨拶をしてみると、街が近づくにつれてだんだん挨拶を返してもらえなくなる。
ここが田舎と都会の境界線なのでは。そんな思い。
2)このチャンレジの様子はNHKで何回に分けて放送されたが、放送後は山頂などで待ってくれる人がいる。
時には「(山頂に)来るのが遅いよ!」と言われることも。
何のために、誰のために、チャンレジをしているのかわからなくなる。そんな思い。
あとこれまたこのようなチャレンジにつきものの「資金が潤沢ではないので~」「旅費の節約のために~」という記述が何度もある。
いや、もちろん資金が潤沢ならばこのチャレンジが完遂できるとは限らないが、かといって清貧的な要素は不要と思う。
資金確保が話のメインならばまだしも、そのような記述はできるだけ減らしてよかったのではと感じた。
<目次>
第1章 気の向くままに風の吹くままに(九州編)
第2章 一座のために一つの目的のために、走れ!歩み続けろ!(中国・四国編)
第3章 緊張が高まる毎日(近畿・東海編)
第4章 不安と緊張、そして感動と涙(日本アルプス編)
第5章 反響の変化(関東・甲信越編)
第6章 旅という名の挑戦 みんなの思いを背負って(東北編)
第7章 ラストスパート1700キロ(北海道編)
【書籍】「アイヌ先住民族、その不都合な真実20」的場 光昭
「アイヌ先住民族、その不都合な真実20(改訂増補版)」的場 光昭
<所感>
政治的イデオロギーが先行すると歴史の振り返りは結論ありきとなることがよくわかる。
特に日本にはある種のイデオロギーの結論はほぼ同じである。
「日本が悪かった。謝罪と賠償を」
具体的な事例は従軍慰安婦、朝鮮人強制連行の虚構の左翼運動で見られる。
このイデオロギーは「少数者は弱者→弱者は差別される→よって被害者」というロジックから成る。
アイヌ史においても同様のイデオロギーが働いて今、果実が実りつつある。
その実態にメスを入れた本。もっと読まれてほしい本。
特に「その8:先住民族に関する国連宣言」の章では「琉球人の自己決定権を認めろ」とのこれまだ日本を分断する運動と構造は瓜二つ。
このような主張ができるのは日本の言論の自由の賜物とは言えるが、嘘はいけない。
左翼イデオロギー運動を止めることができるかは純粋に史実に向かいあることがスタートであるゴールである。
アイヌは弱者であり、差別の対象だった。そんな理想や幻想を持つ方には砂沢クラ(明治30年生まれのアイヌ女性)が自分が書き溜めた日記などをもとに書いた一代記「クスクップ オルシペ私の一代の話」に書かれた以下の文章をどうぞ。
(抜粋)
私は、これまで何度か「アイヌ」と言われていじめられましたが、いじわるをする人はどういうわけか教育もろくに受けられず、下働きのような仕事をさせられている人たちばかりでした。…学校の先生とか医者など教育を受けた人、もののわかった人は、私たちアイヌを本当の日本人として尊敬してくれました。山の中で働いている営林署の人、発電所の人、炭鉱の人も少しも威張らず、私たちを大事にしてくれました。
(抜粋終わり)
<目次>
その1:コシャマインの乱
その2:シャクシャインの乱
その3:子供たちの東京強制移住
その6:北海道旧土人保護法
その7:アイヌは平等社会?
その8:先住民族に関する国連宣言
その13:知里真志保
その14:喜多章明
その15:バチェラー八重子の詩
その16:砂沢クラさんの本
その17:チェーホフ、ブッセ、ゴロウニン
その18:ホーレス・ケプロン
その20:イデオロギーの自己膨張的拡大
【書籍】「宇宙を解く唯一の科学熱力学」ポール・セン
「宇宙を解く唯一の科学熱力学」ポール・セン
<所感>
理系の高校生または大学の学部1回生の副読本として推奨したい科学史の本。
とにかく、サイモン・シンの「宇宙創成」に通じる面白さ。
とにかく科学史という分野はもっと評価されて欲しい。学問の点と点が線につながる。
大学1回生の化学系の授業で「宇宙に存在するエネルギーの量は一定。そして、宇宙のエントロピーは増大する」と言われた。
熱力学の第一法則と第二法則のことだ。
古典熱力学はこの2つの法則で事足りる。熱力学は単純!…とはならない。
しかし熱力学はその概念だけでも理解すると視座が上がる学問である思う。特に現代社会には不可欠な分野の一つだろう。
昨今、気候変動(*温暖化ではない)における発電方法の議論がさかんである。
政治的イデオロギー、感情的な考え、経済合理性における判断の前にまず理性的な議論が必要なはずだ。
そのためには熱力学の基本的知識は必須となる。
なぜならば、エネルギーは最後はすべて熱になるのだから。
<目次>
第1部 エネルギーとエントロピーの発見
第2部 古典熱力学(第8章 熱は運動である、とか)
第3部 熱力学のさまざまな帰結(第16章 情報は物理的である、とか)
【書籍】「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う」山舩 晃太郎
「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う」山舩 晃太郎
<所感>
英語力がゼロの文学部の大学生が水中考古学という学問に出会い、感銘を受ける。一念発起し、大学卒業後、アメリカに留学し10年かけて水中考古学者になるという内容。
20代から夢に向かって突っ走る著者のバイタリティが凄まじい。
ほら、読者のあなたも、さあ!そんな、何か尻を叩かれるような雰囲気が行間に溢れ出ている。
また、水中考古学という初耳の学問の実態も興味深い。
水中考古学の中心は沈没船発掘。その発掘プロジェクトの困難さは主に考古学そのものというよりも組織論に通じる。
発掘時には大学生や大学院生を主体としたチームをつくり、ほとんどが20代。合計10名ほど。
このメンバーが大きなアパートを貸し切って、2か月共同生活を送るという。
そうなると私生活のトラブルは必至。色恋沙汰、プライバシーがないことのストレス、また疲労蓄積でのストレス。
あるプロジェクトを進めるには、プロジェクトそのものよりも、プロジェクトを遂行するメンバーのケアが必要であり重要ということだ。
一つ残念なのは、第6~8章。ここはいろいろな発掘プロジェクトの事例が述べられている。
しかし冗長的であり、少し専門的。
どうせならもっと次世代の学者の育成、他学問とのシナジーの可能性といった点にもっと触れてもよかったのではと感じる。
<目次>
第1章 人類は農耕民となる前から船乗りだった
第2章 発掘現場には恋とカオスがつきものだ
第3章 TOEFL「読解1点」でも学者への道は拓ける
第4章 エーゲ海から「臭いお宝」を引き上げる
第5章 そこに船がある限り、学者はドブ川にも潜る
第6章 沈没船探偵、カリブ海に眠る船の正体を推理する
【書籍】「ドストエフスキー 黒い言葉」亀山 郁夫
「ドストエフスキー 黒い言葉」亀山 郁夫
<所感>
ドストエフスキーが読みたくなる。そんな本。
もう20年ほど前、ドストエフスキーの「カラーマゾフの兄弟」や「賭博者」にチャンレジをした。
当時は工藤精一郎訳の新潮文庫。
しかし見事に途中で断念。
ロシア人の名前がそもそも覚えにくい。また覚えたとしても、その名前の呼び名(愛称)が変わりまくるということが理由のひとつ。
例えば「ウラジーミル」の愛称は「ヴォロージャ」とか「ヴォーヴァ」になる。原形がないやん。。
他の理由は、単純に読解力不足のためだろうが、ストーリーが入ってこなかったこと。
ということでそれ以来ドストエフスキーには手を付けなかった。
その後、亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫のドストエフスキーがとても読みやすい!と読書界隈では話題になった(はず)。
しかし手を付けなかった。
そして、今回、その亀山先生のドストエフスキー作品の解説書と言える本が出版されて読んでみた。
これは、ドストエフスキーを読みたくなる。一言でいえばそんな本。
ドストエフスキーの各作品の言葉を引用し、ドストエフスキー本人とその時代のへの思いが伝わってくる。
ロシア人の呼び名がころころ変わる問題は仕方ない。
でも亀山先生の訳ならば(いまさらだが)新しいドストエフスキーに出会えそうだ。
さすがに、ロシア語を原文で読むのは不可能だし。
ドストエフスキー作品からの印象的な一文。
「金とはいわば鋳造された自由である」(死の家の記録)
「金がなによりも醜悪で憎たらしいのは、人間に才能までも与えてしまうからだ」(白痴)
「ぼくはペテン師ではあっても、社会主義者じゃないんです」(悪霊)
「疫病はアジアの奥地から、ヨーロッパへ広がっていった。ごく少数の選ばれた人々をのぞいて、だれもが死ななければならなかった。…この疫病にかかった人々は、たちまち悪魔に憑かれたように気を狂わせていった」(罪と罰)
最後の罪と罰の文は、主人公のラスコーリニコフが見た悪夢の語りだし。
様々な情報が錯綜するコロナ禍の現状を見越したかのようだ。
<目次>
序 豊饒の「黒」
第一章 金、または鋳造された自由
第二章 サディズム、または支配の欲求
第三章 苦痛を愛する、または「二二が四は死のはじまり」
第四章 他者の死を願望する
第五章 疚しさ
第六章 美が世界を救う
intermission 「神がなければ、すべては許される」
第七章 「全世界が疫病の生贄となる運命にあった」
第八章 夢想家、または「永遠のコキュ」
第九章 不吉な道化たち
第十章 神がかりと分身
第十一章 破壊者たち
第十二章 父殺し、または「平安だけがあらゆる偉大な力の……」
あとがき