五七五の形式ではない俳句である自由律俳句集。そして俳句にまつわるエッセイと写真が少々。
気に入った句と一言。
せきしろ作品
「醤油差しを倒すまでは幸せだった」
幸せな場が些細なことで一辺。誰もが経験したことのあるそんな風景を思い出させる句。生活感満載の醤油差しがきっかけだが、本当のトリガーは子どもか、お父さんの肘か、それとも飼い猫か。どこまでも日常の一コマが続く物語を想像させる。
「風呂桶の中で膝ばかり見る」
体育座り。体育の時間でなければ、喜怒哀楽のうち喜でも怒でも楽でもない。ぬるま湯にぽつり。静寂のなかでぽつり。いつになったら前を向けるようになるのか。
又吉直樹作品
「路傍の隅っこには以前はなかった花束と珈琲と」
そこにあるのはお菓子でもなく酒でもなく珈琲。まだ10代だったのかもしれない。働き盛りの青年かもしれない。家庭を支える大黒柱だったかもしれない。とても哀しむ人がいる。しかし日常は続いていく。
「古本屋の店主が同じ年」
ある日か甲子園球児が年下と気が付いたとき何故だかショックを受けた。固定観念はどこにでも存在する。大学教授、医者、バーのマスター。こういう人ってこれくらいの年齢と思っていたのに。というか20歳はオトナ、30歳はもっとオトナ、そう思っていたのに。結局こんなものである。
「登山服の老夫婦に席を譲っても良いか迷う」
おもわずくすっとなる句。健脚自慢の老夫婦のプライドを逆なでないか心配だ。それともあくまでも老夫婦ということで席に座りたいのかも。自己中?いや、単にその健脚は登山のためのもので、ただ立っているためのものではないと考えているのかも。あるあるネタの文字をそぎ落として俳句になったかのようだ。
「まだ何かに選ばれることを期待している」
本書の最終ページの俳句。俳句というか共感度の高い一文。「まだ本気を出していないだけ」に通じるものがある。しかし「期待している」と謙虚さの中にプライドを感じさせる言葉をチョイスしていることで、この文字群が俳句に昇華しているのだろう。