<所感>
良書。日本語の特性を学び、それを踏まえ日本語の枠を乗り越えることの必要性を説く本。
日本人は議論が苦手、論理的でないとい言われる所以は日本語の特性にある。
特性のひとつは終助詞(…です。…ですね。…ですよ。…ですか。)
議論では相手の意見に賛成か反対かを明確にする必要がある。その一方で、終助詞を使うと自分の立場をぼかいやすく、結果として責任の所在が曖昧になりやすい。
例えば疑問文であれば、日本語は判断委託、英語は回答要求が主となる。
また、日本式の会議は議論をする場ではなく、コンセンサスを取る場や情報共有の場になっていることも原因の一つ。
解消方法は議論において「目標の単純化、言葉の簡素化、意見の情報化をする」そして、「いっそ英語を使用する」。
個人的には前者と後者はニアリーイコールであると感じる。大多数の人が日本語が母語である場であれば、英語での議論する際にはどうしても言葉に制約がある。制約があれば、必然的に前者が達成されると考える。
議論でなくてもビジネスではメールでも然り。論点が不明または冗長的なメールは英語で推敲するとよいと思う。
ちなみに著者の主張は英語礼賛ではなく、あくまでも日本語の特性を知り、「議論」という場においては、その特性を乗り越えることが必要というもの。その点は同意。
<目次>
第1章 議論が苦手な日本人——年功序列と発言権
第2章 「寒いね」が通じない——日本語と英語の断絶
第3章 「わからせる」と「察してもらう」——欧米型議論と日本型議論
第4章 なぜ会議が機能しないのか——日本型議論の功罪
第5章 会議を変える——新しい議論のかたち
おわりに——国際化に立ち向かう「言葉の力」