「リベラル全体主義が日本を破壊する」高山 正之、阿比留 瑠比
<所感>
「売春」が「エンコー」(今ならば、パパ活か)と呼称を変えるとイメージは大きく変わる。それも何故か軽く、ポップな方向に。
「暴行」を「いじめ」、「相撲での暴力事件」を「かわいがり」も同様。
この最たる例が日本における「リベラル」だろう。
「自由主義、自由」といった本来のリベラル意味のイメージのもとに、「多様性の名を借りて価値観の統一を図り、異なる意見を受け入れない不寛容さをもつ」ことが日本のリベラルである。
本書はこのようなリベラルを和式リベラルと定義し、全体主義と共通性に疑問を投げかける)
ところで“多様性”など、一見絶対的な正しさの名を借りて、偏った主張をするという手法はよく見かけられる。
(“多様性”の他には“戦争反対”、“平和”、“人権”とか)
この手法に惑わされないような注意は本当に本当に本当に必要。
<目次>
第1章 メディアはなぜウソをつくのか
第2章 日本はコロナ敗戦したのか
第3章 岸田首相で日本は大丈夫か
第4章 日本は米中にどう対応すべきか
第5章 日本にまともな政治家はいるのか
第6章 日本に百年の計はあるか
第7章 リベラル全体主義とどう戦うか